服の役割を考えてみる。

我が家の2歳9ヶ月になる長男はウルトラマンや仮面ライダーが大好きです。

先日もウルトラマンタロウのお面をプレゼントしたら大喜び。

毎日欠かさずごっこ遊びが続いています。

お風呂上りにオムツ一枚とお面だけの姿でタロウになりきって、決めポーズや必殺技を繰り出しながら大はしゃぎするわが子を見ていると、私自身も楽しくてワクワクした気分になってきます。

コロナ自粛が続く中、同業者やアパレル業界の人たちと会話すると「世間のみんなは洋服なんて必要としていないんじゃないか」という話題がよく出ます。

在宅勤務で外出着が必要ないというのもあるし、収入が減って服にお金をかけている場合じゃないというのもあるので、これからしばらくは服なんてそうそう売れないんじゃないかという悲観が我々の業界にはあります。

確かに今回の事で収入が減る家庭はかなり多くなるはずで、今は最低限生活に必要なことにしかお金をかけられないのは当然のことです。

生活に必要なものとして衣食住という言葉があります。

衣類を身に纏うのは体温調節や怪我などから身を守るためです。

人が食べ物を食べるのは必要なエネルギーや栄養素を摂取するためです。

住空間が必要なのは風雨や外敵から身を守るためです。

けれどもこれらの要素を満たすだけで人は毎日幸せに暮らしていけるでしょうか。

ミシュランで星を取った高級店で何万円も支払って食事を楽しむとまではいかなくても、3食の他にチョコやケーキを食べるかもしれないし、お酒も飲むでしょう。

甘いものが好きな人にとってチョコやケーキは美味しくて食べると幸せな気持ちになれるし、お酒を飲めば気分がリラックスするということもあると思います。

海外から輸入した家具で室内の道具を統一するというようなお金のかけ方が出来なくても、部屋をインテリアや観葉植物などで飾ったりはするでしょう。

部屋を飾ってお気に入りの空間にすれば居心地が良くなります。

美味しいものを食べたときの幸せな感覚、部屋の居心地がよいことで安息をえることは贅沢な事でしょうか。

お金がなくて生活に余裕なんか無いよ!という人も、そうは言いながら生活のどこかに楽しみの部分がないとやっていられないと思います。

過度な贅沢をしないにしても、楽しくてワクワクするような幸福感を全く削ぎ落として暮らしているわけではないと思います。

では衣類はどうやって人を幸せにするのか。

いろんな人にいろんな考えがあるかとは思いますが、私自身は衣類の役割を「なりたい自分になれる」ということだと考えています。

わが子がウルトラマンのお面を被ってはしゃぐのはウルトラマンになれるからです。

コスプレ好きの人はお気に入りのキャラクターになりきりたいから衣装を揃えるんだと思います。

たとえ水の呼吸を習得できていなくても、服があれば気分だけは竈門炭次郎になりきることが出来たりします。

舞台俳優がステージ上で上下ジャージ姿でオスカルやアンドレの演技をしていても何のことか分からない芝居になりますが、服がその役柄の意味を与えてくれます。

同じように、ゴルフを始めたばかりの初心者の人でもプロゴルファーと同じようなスタイルを身に纏う事でいっぱしにプレーしている気持ちになれたりします。

服装から入るというやつですね。

そういった衣装としての服はまさになりたいキャラクターになれるものですが、それだけではなく普段身に着ける服もやっぱり何かになりたいから着るんだと思っています。

可愛くなりたい、カッコよくなりたい。

アメリカ西海岸のスケートボーダーにあこがれる若者や、パリのカフェで時間を過ごす人、服を選べばなりたい自分になれるし、なりたい自分になれたらやっぱり楽しくて心が躍るということはあると思います。

子供がウルトラマンに変身したいという願望と、可愛い服を着て可愛い自分になりたいという願望は、根っこの部分では同じなんじゃないかなと。

つまり、「変身願望」ですね。

この変身願望を叶えるということは生活に最低限必要な衣食住というジャンルの中では「衣」にしか出来ない大事な役割なんだと思っています。

なりたい見た目に変身できるということ以外にもなりたい自分になれるという要素はあって、一見何の変哲も無いシンプルなデザインの服でも、そこに色んな技術やストーリーがあってそれに共感して着るのであれば、そこには「自分が目利きをして見つけ出した質の良いものを身に着ける自分」になれるんじゃないかとも思っています。

短い言葉に言い換えるなら「大人になれる服」とでもいいましょうか。

そういう意味では東大阪繊維研究所のTシャツは「大人になりたい願望」が叶う服になっていればよいのかなと思っていたりもします。

マニキュアや化粧は人に見られるためにするんじゃなくて、自分が可愛くなりたいからするんだという意見を聞いた事があります。

服も同じく人に見てもらうために着るのじゃなくて「なりたい自分になりたい願望」をかなえるために着るものなのかなと。

そんなこと言われなくても分かってるよ、という業界の方もいるでしょうし、服が果たす役割については本当に色んな意見があるかとは思います。

けれども、繊維やアパレル業界の悲観を日々感じ自分たちの存在意義を見失いかけている同業界の人たちと多く接するなかで、それでも自分たちの作るものが誰かの願望をかなえるために役立っているんだ、誰かをワクワクさせているし楽しい気持ちになってもらうのに役立っているんだ、ということを微力ながらも発信したいと思って今回の記事を書きました。

服は誰かの願いをかなえるのにちゃんと役立っているぞ!

と服作りに携わるみんなに言いたい。

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