先日私の携帯電話に未登録の番号から着信履歴があり、折り返してみたところ親戚の叔母さんでした。
このパターンは良からぬ話か?と身構えたところ、
「新聞の記事を見たで、おめでとうさん!」
とのこと。
正直何の話か分からなかったので、
「急にどないしたん?」
と聞くと、どうやら読売新聞の河内版という地方ニュースのコーナーで私のことが取り上げられているらしい。
内容を聞いてみたら先日認定を受けた東大阪ブランドの認定式の様子が紹介されているのだとか。
確かにあの時読売新聞の記者さんからもインタビューを受けましたが、それがいつどんな形で記事になるのかということについては聞かされていなかったので、インタビューを受けたことさえすっかり忘れてしまっていました。
叔母さんが言うには、
「はがき2枚分くらいの大きさで記事になってるで、あんたの顔もしっかり写ってる。」
ということだったので、意外としっかり取り上げてくれたんだなとちょっと驚きました。
「あんたのお父さんに電話したらその記事を見てないって言ってたから、切り抜いて送ってあげるわ。」
ということで、私の実家に送られてきた切抜きの紙面が上の写真です。
市長が右手に持っている白い布着れのような何かが当社のTシャツです。
あぁ、こんなことなら写真に写るときだけでもスーツを脱いでTシャツに着替えればよかったな、、、と思いましたが現場がめちゃくちゃ重苦しい雰囲気だったのでやらなくて正解だったとは思います。
それにしてもこの時代に新聞の切り抜きを封書で送るというこの情緒あるやり取り。
しかも私の父母が住む実家は隣県にあるので、私はそれを見に行かなければいけない。
叔母さんが送るといった日から2日後、別の用事もあったので子供たちをつれて実家に行き、
「叔母さんから記事届いてない?」
と聞いたところまだ未着。
その日は結局記事を見ることなく帰宅。
昨日会社に出社したら父親がこの切り抜きを会社に持ってきてくれたので、そこで初めてこの紙面を見ました。
どうですか、この回りくどさ。
実はこの叔母さんは私と同じ市内に住んでいるので、この紙面を見に伺おうと思えば車で15分くらいの距離です。
その紙面が一度隣県の実家に送られる。
それを見に行った私は一旦空振りして、結局会社で受け取る。
ちょっとしたドラマになりそうです。
こういうやり取りが楽しい。
記事をみた叔母さんが10数年ぶりに連絡をくれる。
私の父親とも数年ぶりに話をする。
家族を連れて実家に帰ったことで、子供たちと私の両親も会える。
新聞本来のコミュニケーションツールとしての役割以上にコミュニケーションが発生してます。
今のご時勢、
「記事の写真をラインに送っとく。」
これで十分です。
それを私がちょこっとクリックして1分ほど記事を眺めて終了。
とても簡単で便利。
しかしどこか味気ない。
それに比べてこの新聞紙面の切り抜きを手に取ったときのなんともいえないホッコリ感。
忙しい毎日で不便さを楽しむということはなかなか難しいことだと思います。
けれどもたまにこういうことがあると、
「あぁ、こんなやり取りも楽しいな」
と思ってしまいます。
人間はわがままな生き物で、不便だと便利を求めて便利になると手間隙を求めたりします。
無いものねだりというやつになるんでしょうか。
たとえばコロナで会食を自粛しなければならないなると、オンライン飲み会が流行りだす。
これが意外と楽しくて安上がりで気楽で便利だとなる。
そこからしばらくすると、でもやっぱり直接会って話したくなる。
何人かで相談して待ち合わせ場所や時間を決めて、お店を選んで予約して、服を着替えて電車に乗って出かけていく。
飲み会を頻繁にやっていたときはこの手間を面倒なことに感じたのに、今の状況になってみるとその一つ一つが楽しいことに思えます。
そしてまたそれが面倒に感じたら新たに覚えたオンライン飲み会という楽しみ方をいつでもできます。
そうやって考えるとこんな世の中になったからこそ楽しみ方が増えているということもあるのかも、
というと大げさすぎるのかもしれませんが、
ギザギザの切り抜きを眺めながらそんな風に感じました。