先日とある雑貨屋さんを訪ねたときのこと。
そこで売られているのは主に陶芸作家さんの食器でした。
店主の方はそれらの商品を説明するのに「手仕事」という言葉を多用されていて、そのお店では人の手のぬくもりが感じられるものだけを売っていきたいということでした。
この「手仕事」という言葉はよく伝統工芸品などの売り文句に使われていて、百貨店の催事で「日本の手仕事展」なんてのをたまに見かけます。
陶器や漆器、竹カゴなどいろんな手作りの生活雑貨が出品される催事で、私自身はそういったものが好きなのでちょいちょい見にいきます。
この「手仕事」という言葉ですが、時に未熟な作家さんの技術をごまかすために使われている気がします。
工芸品などで非常に精巧な絵柄や複雑な技法で作られたものを見ると「よい仕事をしているなぁ」と感心したりします。
作家さんが長年積み上げた経験や洗練された技術によって、ちょっとやそっとのことでは真似の出来ない作品が生み出される。
ここに辿り着くために凄い努力をしたんだろうなぁと感じられる、そんなものに出会う瞬間が好きで陶芸の窯元や漆器や木工芸など色んな工芸品の作り手を直接訪問することもあります。
なので、いわゆる作家モノが販売されているギャラリーや雑貨屋さんにも時々行きます。
そういったお店では色んな産地で活動している作家さんの器が並んでいるのですが、時々「本当にこの状態で売られてて良いのかい?」と思うようなものに出くわします。
例えば急須などの蓋モノの器で本体と蓋のサイズが合わずに隙間だらけのものであったり、注ぎ口の作りがあまくて水切れがよくなかったり、脚付きの皿の脚の長さがばらばらなために器が安定せずぐらぐらと揺れるものだったり。
そういったものを何の気なしに見ていると、お店の人が寄ってきて「どこその産地で活動されている作家さんの器です」「作家モノなので一点一点少しずつ形が違っているのが味です」だの何だのと説明が始まったりします。
普段は適当に聞き流しているんですが、たまに「本体と蓋のすりあわせが悪いように感じますが。。。」とつぶやいて見たりすると、「手作りなんでそういった部分も多少はあります」というような返答があって「はぁ。。。」となる。
場合によっては手作りの器にたいしてケチを付けにきた厄介な客のように扱われたりもするので、あんまりこの手の問答はしないように心がけてます。
しかし、作品のクオリティに対して店主がどう捉えているのか気になるので、あまりに不出来なものがあるとたまに突っ込みを入れてみたりしますが、ほとんどの場合「手仕事」であることを理由に許容範囲を広く見ている旨の返答をされます。
同じような器でも少しずつ形を変えて作ることが出来るいうことは、一点一点個別に作ることのメリットであることは間違いないと思います。
しかし前提として器に要求されるスペックが備わっていなければ味もなにもないんじゃないかと思いますし、それは単に技術不足なのではないかと感じてしまいます。
Tシャツは縫製業者さんに縫ってもらうわけですが、これについてはどうでしょうか。
工業製品としてのTシャツですので、縫製業者さんは基本的に指示の通りの寸法や仕様で仕上げなければいけません。
しかし、実際は一枚一枚縫子の職人さんがミシンで縫い上げていくわけですから、ちょっとした力加減によって仕上がりに微妙に差が出ます。
そういった商品の不安定さについてどの程度許容するかという判断は各発注者にゆだねられています。
けれども、これはもっというと最終的にその商品を購入される各顧客の方々の判断にゆだねられているといえます。
例えば右の袖と左の袖の長さが違うTシャツが出来てしまった時に、その差が何ミリまでであれば良品として販売可能なのか。3ミリでアウトでしょうか?2ミリまでならOKでしょうか?
仮に左右の袖の長さが1センチ違ってしまった時に、それを販売する店の方は「手仕事なのでそういう部分も多少はあります」といえばお客様は「ですよね~!」といって購入してくれるでしょうか?
「左右の袖の長さが違っている方が人のぬくもりが感じられて良いですね」とはならないと思います。
けれども実際の縫製作業は「手仕事」なのです。袖や衿のパーツを別々に作り、一箇所一箇所ミシンで縫いつけていくのです。
同じことが糸の撚糸や染色、生地の編みたてにも言えます。
糸の撚糸には撚糸機を用いるわけですが、糸を機械に仕掛けるのは人間ですので仕事の丁寧さが仕上がりに変化をもたらします。
加工する糸を乗せる部分をクリルと呼びますが、クリルの角度を少し間違えるだけで撚糸にムラが出来て糸に不良箇所が出来ます。糸の結び目がちょっとでも大きければ編地に傷が出るし、糸が綺麗に巻かれていなければ編みテンションに影響が出ます。
編み機の編み針がどのくらいのスパンで上下するのか微妙な設定をするのも手作業ですし、編み機がスムーズに動くようにメンテナンスをするのも手作業です。
ネジを回して機械をばらしてパーツ一つ一つをウェスで磨いて油を注して手入れをします。
一枚のTシャツが出来上がるためには各工程に携わる人たちが積み上げてきた経験や技術が必要で、どの工程にも素人でもボタンひとつ押せば自動で出来上がるというようなものはありません。
商品が出来上がるまでにどんな技術が用いられていて、どんな工夫がなされているのかというのは工業製品の場合分かりにくいことも多いと思います。
縫製の技術がとても高ければ商品一枚一枚が均一なクオリティに近づきます。
商品が均一に作られれば作られるほど、余計に人の手が入っているということが見えにくくなるという矛盾のようなものもあるのかと思います。
一つの商品を作るために実は沢山の「手仕事」が必要で、沢山の人が携わって出来たものなんだということを、工業製品であるからこそ余計にしっかり伝えるようにしなければいけないと思っています。