「私の経験上・・・」というとても厄介な言葉。

「経験上」という言葉は非常に厄介です。

たとえばリネンについて。

リネンという糸には天然の凹凸があり、亜麻ガラという皮が入っており、ペクチンという糊の成分があります。

これらの要因によってリネンは均一に染まりにくなります。つまりはムラに染まります。

衣料の業界ではこれら色ムラはしばしば生産上のトラブルになります。

「リネンがムラに染まっているから染め直して欲しい」とか、「色の薄い部分に染料を乗せて修理して欲しい」とか。

紡績工場も染色工場も日々技術の向上に努めており、決められた基準に即して商品を生産していますし、それらを検査し基準をクリアしていると判断した上で出荷しています。

もちろんミスはします。だって人間だもの。

なので糸の凹凸が許容範囲を超える程度になってしまったり、染めムラが出すぎることはあります。

けれどもほとんどの場合きちんと良品をデリバリーしています。

そんな中で何かしらの問題が発生したときは、まずその原因を突き止めてそれ以上問題が拡大しないようにすること、目の前に迫っている納品期日を守るために出来る限り生産を継続することを同時進行で進めなければいけません。

そのため、問題が発生した現場の人間がその場の判断で対処方法を決める必要があります。

ここでしばしば登場するのが「私の経験上・・・」という言葉です。

「私の経験上この色むらは許容できない水準です」とか「私の経験上この糸は不良品です」とか。

最初に書いたとおりリネンという糸はムラに染まります。理論上ソリッドには染まりません。

けれども色によっては、たとえばブラックとかネイビーなど一見ソリッドに見えるように染まることはあります。

それ以外の色でも、たまたま染料と繊維の相性が良くソリッドに近い色で染まるケースもしばしばあります。

しかし、実際のところほとんどの色がムラっぽく染まります。

けれども人によってはリネンのニット製品を作った結果、色ムラの問題なく無事納品して完了という経験をする人もいるわけです。

これらの人が別の機会にリネンを扱い、それがたまたまターコイズやらローズピンクやら染めムラの発生しやすい色ばかりの企画で、実際に色ムラが出たりすると例の言葉が出てくるわけです。

「私の経験上ここまでの色むらは見たことがないですね。」と。

先に書いたとおりリネンはムラに染まる糸です。

けれどもそれを経験したことのない人にとっては色ムラの発生した製品は不良品扱いとなります。

私たちのように毎日リネンの糸と生地に触れて、これまでに何百何千というロットのカラーを見てきたものにとってはよく見慣れた染まり具合であっても、その人にとっては初めてみるリネンの色ムラです。

ここに差があるのは仕方がないことだと思います。

ここで「この人は素人で物を知らないから駄目だ」ということにしてはいけません。

ちゃんと素材の特徴を説明して、必要であればなぜソリッドに染まらないのかというメカニズムを説明して、さらに必要であればムラに染まった様々なカラーのサンプルを見てもらうなどして、それぞれの感度を合わせる必要があります。

そうやって少しずつ経験値を共有していくことで解決できるトラブルは沢山あると思います。

けれども残念ながら「私の経験上・・・」というセリフで情報をシャットアウトしてしまう人はわりと沢山います。

年配の方だけでなく若い人にもいっぱいいます。

自分にもそういう部分があるはずです。

だって人間だもの。

誰しも自分が経験したことからしか物事を判断できないので、自分の経験上おかしいと感じたことはやはりおかしいことだと判断してしまうのです。

でも人間一人が経験できることなんでたかが知れていて、世の中知らないことばっかりです。

なので自分の経験上から割り出される判断に過度な自信を持つのは危険なことだと思います。

ニットの業界でこれまでに様々な「経験上・・・」を耳にしました。

私の経験上カシミアのニットは洗濯出来ない。

私の経験上強撚糸の斜行は止められない。

私の経験上双糸の斜行は止まっても三子は止められない。

その他色々。。。

これらは「理論上」全部間違いだったりします。けれどその人にとっては「経験上」正しいわけです。

だから私は誰かが「私の経験上・・・」と言い始めたら、出来るだけそのエピソードも含めて色々と聞くようにしています。

そして自分の経験とどこが大きく食い違っているのかを見つけ出して、問題解決の落としどころを見つけるように努めています。

時には何気ない世間話のふりをして、時にはその話を詳しく教えて欲しいと積極的に聞きながら、出来るだけその人と感度を合わせるようにする。

物事の発生原因を科学的に証明したり、時系列を追って犯人を割り出したりするよりも、みんなの経験を共有して感度あわせをすることが結局一番物事をスムーズにする方法だと思っています。

なので私自身が「私の経験上・・・」という意味のセリフを言う時は、出来るだけ「私が経験したケースに限って言えば」というような言葉に直すようにしているんですが、、、いつもいつもそう上手に言えているわけでもないので、、、気をつけます(笑)。

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